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コミュニケーションの方法がわからない
はじめまして
コミュニケーションについてのいろいろな記事をいつも楽しく読ませてもらっております。アラサー男子です。
早速ですが、私はある時期から他人とのコミュニケーションの方法がわからなくなってしまいました。具体的に言うと話をしている時、話を聞いている時の視線の置き方についてです。
私はある時期、君は目を見て話さない、と注意を受けたことがあります。これ以降、私は意識して相手の目を見て話し、聞く時にも相手の目を見て話すことを心がけるようになりました。その結果、相手に不気味がられ、相手が挙動不審に振る舞うように感じるようになりました。
その後はコミュニケーションの本を読みあさり、視線の置き方を研究しました。
そこから学んだことは、人の話を聞いている時は視線を首元に置き、基本的には合わせない、などを学び、実践しましたが、相手は拒絶されていると感じたらしく、機嫌を損ねているように感じました。
他の人の会話を観察していると、端からはお互いに目を見て会話しているように見えます。なぜ、私だけ上手くできないのでしょうか?私には他の原因があるのでしょうか??
もうかれこれ四年以上このような状態で、正直、どこを向いて対話をしていいのかわかりません。田舎暮らしで、どこにも相談することができず、とても苦しい思いをしています。長文になってしまいましたが、何かしらの助言を頂けたらなと思います。
男性
28歳
2016年8月3日
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カウンセラーの回答
完全を求めるのではなく、ほどほどに接する
Hornbyさま
相談のメール、ありがとうございます。カウンセラーの藍はるです。
私は、臨床心理士で被災地の学校でスクールカンセラーとして勤務もしております。
そのなかで、Hornbyさまと同じような悩みを持つ学生さんたちにも出会います。
少しでも、Hornbyさまの助けになればと思い回答させていただきます。
最初に、文書を読んでHornbyさまは真面目すぎる人ではないかと思いました。
きっと、勉強家でもあり自分の弱いところを必死に治そうとされているのではないかと思いました。
しかし、ここに落とし穴があるのではないかと思いました。
というは、人は他人に対しても自分に対してmustという文脈になると苦しくなるのです。
きっと、Hornbyさまはある時期に「目を見ないね」と言われて、それをなおそうと心の中で「目を見なければならない」と考えられ、一生懸命に相手の目をみて話されましたよね。その文脈に、「○○しなければならない」というmustが組み込まれることで、Hornbyさまのこころの余裕がなくなり、相手の目を見ることに必死になってしまい、その結果、「不気味がられる」ことにつながったと思われます。
そして、次には逆に視線を首元におきました。(これ自体は正しいと思います)
ところが、これも「首元を…」と書かれていたので、「首元をみなかけばならない…」と元に集中しすぎてしまって、相手からは機嫌をそこねられたのではないかと思いました。
must(〜なければならない)があるが故にどちらも余裕がなくなり、やり過ぎてしまっているのではないかと思いました。
Hornbyさまからすれば「何で裏目、裏目ばかりになるのだろ…」と思われることになったのではないかと思います。
mustの文脈は、100パーセントやそれに近いものを求めてしまいます。
「○○しなければならない」
ではなく、
「○○した方がいい」
に変えてみませんか。100パーセントではなくてもいいのです。
ほどほど、7割か8割で自分自身で合格点をつける癖をつければと思います。
Hornbyさまは、これまで確かに色々なことを努力で乗り越えられたのだと思います。
ただ、年齢や環境と共に変化させていけばいいと思います。
野球でたとえ話をさせてもらうのなら、ダルビッシュ有投手は日本にいるときは剛速球で三振をとるプレイスタイルでしたが、大リーグに行って故障も年齢もいってくるとかわす技を身につけてきました。
Hornbyさまも、本で学んだことや人の話(わたしが今書いたこともそうですが)
100パーセント額面通りに取らずに、ほどほどに受け入れることをお勧めします。
一度、試してみませんか。
最後に1冊本を紹介させてください。
『アドラー流一瞬で心をひらく聴き方』
という本です。
コミュニケーションのひとつの要素、『聴き方』についてまとめた本です。
よければお読みくださいね。