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育児や家族関係で疲れています

育児や家族関係に疲れています。現在、小1の女の子を持つ専業主婦、都内在住です。主人と私の双方の両親が健在、娘は初孫で唯一の孫です。

先日、運動会がありました。双方の両親が参観を希望するので、声をかけて来て頂きました。雨天のため、翌日開催となり、二日連続でお弁当を作り、両親は前日から泊まりに来ていました。その後、自分がとても疲れて2、3日何も出来ず、子供や夫にあたってしまいます。来月は七五三もあります。

こんなことで騒ぐのは情けないことだと思います。子供と祖父母の橋渡しをしたい気持ちもあるのですが、事あるごとに負担が大きく、楽しめません。行事ごとって一体、誰のためで何なのかと考えさせられます。実の両親も娘のことを異常なくらい楽しみにしてくれており、それに応えたい気持ちもあります。  

少し前まで、外国に駐在していたのですが、そこでも日本人社会の行事ごとがたくさんあり、具体的には会社関係で大量のお料理を作らなければなりませんでした。

お祭りごとは好きですが、後に自分の気持ちに無理が来てしまうので、すべきでないのかと思ったりもします。お祝い事や食事作り、母の世代の日本人の主婦なら普通のことだったと思うのですが、実際に辛く感じてしまいます。

子供も学齢期に差し掛かり、宿題等が多いです。日々の宿題等の面倒も見てやらねばならず、夫にしても自分のことは早くしっかりやってほしいのに、さっさとしてくれず頭にきてしまいます。家族の面倒を見るのが専業主婦の務めと分かっていても、不満を覚えてしまいます。

一つ一つの内容は大したことのないのに、やるべきことが山積しているように思え、全てのことが面倒くさく、早く終わってくれればいいのにと思ってしまいます。私がするべきことはこの先も変わらないので、どうにか自分の発想を転換して、また体力的にも余裕で対処したいのですが、どうしようもできずにいます。

愚痴を話せる相手がいるといいのですが、学生時代の友人とは、育児の忙しさや環境の違い(子供の有無や仕事の有無等)から疎遠で、近所に気の合う友人も作れずにいます。

自分に色々な意味で修行と割り切りが足りないと思うのですが、こんな状況をどう打開したらよいか分からず悶々としています。

家族と爽やかな気持ちで心穏やかに暮らしたいのです。アドバイスをいただきたくお願いいたします。

女性

37歳

2009年10月14日

カウンセラーの回答

ご家族を大切にするのと同じぐらい、ご自分のことも大切になさってくださいね。

こんにちは。カウンセラーの杉元信代です。勇気をもってご相談いただきありがとうございます。

メールから、ひゅうま様が毎日、一生懸命に専業主婦として気働きをし、がんばっているお姿がよくわかりました。専業主婦として、娘として、嫁として、また妻として母として、せいいっぱいしているけれど、どうもそのことが負担に感じてしまうようになっているのですね。

またその負担に感じることに対して「修行が足りないのでは」「割りきりが足りないのでは」と自分を責めるような気持ちになってしまってとてもお辛い状態なのですね。

ひゅうま様のお気持ち、私も同じ主婦としてわかる部分もあるように思いました。せいいっぱい回答させていただきますので、どうぞよろしくお願いします。

ご主人のご両親、ひゅうま様のご両親、共にご健在で、お嬢様が唯一のお孫さんということで、双方の親御さんが、お孫さんであるお嬢様のことをとても可愛がっていらっしゃる様子がよく伝わってまいりました。

また、ひゅうま様も、そんな親御さん方のお気持ちを汲んで、せいいっぱいその気持ちに応えたいという強いお気持ちがおありなのですね。

二日間、大人数のお弁当を作り、そしてお泊りになったご両親のお世話、本当に大変だったと思います。そのあと、どっと疲れがでて、2〜3日何もできず、ご主人やお嬢様に当たったりしてしまったのですね。

もし、誰も招かないでお弁当も作らなかったとしても、運動会は外で長時間過ごしますし、お子様のお友達のお父さんお母さんにも会うということで、精神的にも肉体的にも疲れるものです。

ひゅうま様は、その上、二日間もお弁当作りをし、ご両親方のお世話もされているのですもの、疲れが出るのも私はごくごく当然なのではないかと思います。疲れてついつい周りに当たってしまうのも無理はないかもしれません。

それでもひゅうま様は、「こんなことぐらいで大騒ぎするなんて」とご自分を責めていらっしゃるようにお見受けします。とても真面目で責任感が強くて、ご両親も含めたご家族への想いも強くていらっしゃるのだなあと思いました。

親御さんとお嬢さんの関係も良好なものを作れるよう、文字通り「尽力」したいという強いお気持ちも感じます。

気持ちはあっても、どうもそれが「事あるごとに負担が大きく、楽しめない」となると、辛いですね。「行事ごとって一体、誰のためで何なのかと考えさせられます」とありますが、せっかくの行事、ひゅうま様は負担ばかりで今は楽しむ余裕がなくなってしまっているのですね。寂しいですね。

このままでは来月のお嬢様の七五三も、負担ばかりで心から楽しめないのではないかと思って心配してしまいますよね。そんな心配もある中、それでもご両親のお嬢様の七五三への楽しみにしている気持ちに応えたいという気持ちも強くていらっしゃるのですね。

以前は、外国で暮らしていらっしゃったのですね。そんな中でも日本人社会の行事ごとが多く、その責務を果たすことが、ひゅうま様にはとても負担に感じられていたのですね。

外国における日本人社会ですと、日本に暮らしているときよりも一層、行事には力が入っていたかもしれません。負担は相当なものだったと推察します。

まして、それが会社関係での行事であれば、ご主人のことも考え、ひゅうま様もかなり一生懸命に責務を果たされようと努力されてきたのではないでしょうか。本当に大変でしたね。

ひゅうま様は、お祭りごとはもともとお好きなのですね。それなのに、楽しみたいという気持ちはあっても後で負担に感じるのであれば、参加そのものもすべきでないのかと考えてしまうこともあったのですね。もともと好きなことが楽しめず負担になるということは、とても辛いですね。

お祝い事や食事作り、お母様の世代の日本人の主婦なら普通のことなのだからとは考えても、実際には、とても負担に感じてしまうのですね。

行事だけではなく、お嬢様が小学生だと勉強も見てあげないといけないし、ご主人も、ひゅうま様が期待しているほどには、自分のことを自分でしてくれないように思うと、それらが専業主婦の務めのひとつだと考えてはいても、不満を感じてしまうのですね。

いろんなことが山積し、全てのことが面倒くさく、早く終わってくれればいいのにと思ってしまうのですね。そして、そうは思いつつも、「なんとか気持ちを切り替えて、これからもがんばっていきたい」という強いお気持ちも感じました。

愚痴を話せるようなご友人は今はいらっしゃらないということでしたが、外国生活もあったでし ょうし、学生時代の友人とは環境が変わるとなかなか話題が合うことも難しいですよね。そんな中、毎日本当にご家族のために尽くされていますね。

ひゅうま様は、「一つ一つの内容は大したことのない」と書かれていますが、私はそんな風には思えません。「主婦」や「妻」や「母親」というものは、「これでいい」というゴールがとっても見えにくい、大変な仕事だと思っています。終わりもありません。評価も受けにくいものです。

ひゅうま様はこの大変な仕事を、ひとつひとつとても丁寧に、きちんと、毎日されて来ているのです。とてもすばらしいことだと思います。

さまざまな行事、親御さんとの関係、子育て、毎日のこまごまとした仕事、それからご主人へのサポート・・・本当に主婦って毎日大変ですよね。大変だけれど、できれば毎日、楽しくすごしていきたいとも思いますよね。

さて、ここで、考えないといけないことを整理してみましょう。

まず、「行事のあとは、ぐったりと疲れてしまう」ことを考えないといけないですね。家族の行事ですもの、家族が皆楽しく思えるようになりたいですね。それから、もうひとつ、「これが自分の務めだと思ってはいても、不満がたまる」ことについても、やはり考えていきたいですね。

「ぐったり」の中身をもう少し見てみましょう。「疲れる」のは、ひとつは、体力的な疲れが考えられます。もうひとつは、精神的な疲れといえます。

ひゅうま様の行事のあとの「ぐったりと疲れてしまう」の「疲れ」は、もちろん体力的な疲れの部分もあるかとは思うのですが、どちらかというと「気疲れ」のほうが多くを占めているのではないか?と私には感じられました。

ここからは、私の推測も入ってしまうかもしれません。もしかしたら、ひゅうま様は、ご自身で思われている「きちんとできている」のハードルがもともと高いのかもしれません。ハードルが高いこと自体は別に悪いことではありません。

ただ、問題になってくるのは、その高いハードルが「越えられなかった」とき、あるいは自分のでは充分余裕があったつもりが、実際にはぎりぎりで「なんとかこなしている状態」が続いてしまったときのことなのです。

ひゅうま様のなかに、「専業主婦なんだから、家のことは、一人で完璧にやりとげないといけない」という強い気持ちがおありではないかと思うのです。そんなことはないですか?

この、「私は絶対にこうでなくてはならない」「私はこうしなければならない」というものを、「イラショナルビリーフ」と呼んでいます。

「イラショナルビリーフ」というのは、「私たちをみじめにする非合理的な価値観や考え方」という意味です。これに対し、論理的な考え方をラショナルビリーフといいます。

実は、どんな人でもイラショナビリーフをもっています。人は誰しも「自分にとって、快適で公平な人生を無意識の中で追い求める」ものだからです。ですが、このイラショナルビリーフが強過ぎると自分に自信がもてなかったり、人間関係が上手くいかなかったりと、自分自身を「辛くさせている」ことがあるのです。

だからといって、私は、「もっと気楽に手を抜いてやればいいのよ」なんてことをお話するつもりはありません。ひゅうま様のご家族に対する想いも充分わかりますし、「自分にできるだけのことはしたい」という強いお気持ちもわかるからです。

ですが、「自分にできるだけのことはしたい」というのと、「一人で完璧にやりとげなくてはいけない」というものの「違い」はお分かりになりますか?ここでのポイントは、「完璧に」と「一人で」という部分です。

ひゅうま様のメールには、実はそんな言葉は一言もありませんでした。ですが、私にはひゅうま様が常にそんな想いでいらっしゃるのではないか、という気がしたのです。

「こうありたい」と思うことは、すばらしいことです。それに向かって努力することも尊いことです。ですが、何でも抱え込まず、ときには、「助けて」「手伝って」ということも、実は「スキル」なのです。けっして怠けたり、手抜きをしていることにはなりません。

また、ひゅうま様は、「妻」「母」「嫁」「娘」の役目をすべて完璧にやらないといけない、とも思われているように感じました。

もちろんそれが「駄目」だといっているのではありませんよ。ですが、「完璧〜でなければいけない」という考えは、とってもご自身を辛くさせます。このお気持ちは、ひゅうま様が周囲の人々のことを大切に思うからこそのことだと思います。

ですが、まずは、「ちゃんとしたいな、という気持 ちはあるけれど、できないこともあるよね」と思えれば、もっと楽にはなると思うのです。「妻」「母」「嫁」「娘」以外の、役割をぜんぶ外した「ひゅうまさま」ご自身のことも大切にしていただきたいと思うのです。

「これが自分の務めだと思ってはいても、不満がたまる」というお気持ちは、実はこのあたりに答えがあるのではないかと思います。

ヒトにはそれぞれの「役割」があります。けれど、「役割」を果たすことばかりにとらわれていると、全部とっぱらった「素の私」のことをほったらかしにしてしまいがちになるのです。それは、知らないうちに心の奥を寂しい、辛いものにしていきます。

「お母さんなんだから」「嫁なんだから」「娘なんだから」「主婦なんだから」というのが、なにもかも基準になっていないですか?ご自身の「本当の気持ち」を自分で押し込め続けていないでしょうか。

それともうひとつ、「役割を果たし続ける」ことで、ひゅうま様が「得ている」ものは何でしょう?言葉を変えると、「役割を放棄したときに失うもの」は何ですか?

是非、「ひゅうま様」ご自身のお気持ちも大切になさってください。もちろん、「そうはいっても」と思わざるを得ない場面は、これからも多く出てくるでしょう。

まずは、今「疲れている」ご自身をいたわってあげてください。疲れて「当然」なのです。「こんなことぐらいで」と思い悩むことはありません。

そして、溜め込んでしまう前に、周囲にサポートを頼むことは、「なさけない」ことでも「はずかしい」ことでもないこと、ひゅうま様がご自身の役目を果たすために「大切なこと」だというお考えを、是非もっていただきたいなと思うのです。

大丈夫、こうやって、ご相談のメールをいただいたということは、ひゅうま様ご自身に、「周囲にサポートを頼む力がきちんとある」ことの証明でもあります。

こころから応援しています。ご相談ありがとうございました。

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